供養について思うこと

最終更新日 2024年3月21日

ろうそくの炎

平成3年に母を亡くした私の体験

私事ですが平成3年に母を亡くしました。
はじめて身内の葬儀を経験したのがこの時です。

当時32歳だった私は、すでに結婚し家を出ていました。
実家には父と姉がおり、もちろん喪主は父で姉と私は分からないながらも父を助けて通夜と葬儀の準備をしました。

その後、平成12年に姉が、平成20年に父が亡くなり、通夜と葬儀の準備も慣れたものです。
それぞれの葬儀の後に四十九日の法要と合わせて菩提寺に納骨をしました。

住職からは供養の大切さを折にふれ教えてもいただきました。

塔婆とは?

まず、私が知らなかったのは「塔婆」の意味です。
子供のころ親戚の葬儀や法要についていくと、お墓の後ろに木の板が立ててあるのは知っていました。

法要に出る機会が増えるに従い、それが「塔婆」と呼ばれることも知りました。
法要に出る父や母が「香典」のほかに「塔婆代」を用意していることも良くありました。

母が亡くなった年の6月ころでしょうか、菩提寺から「お盆のお知らせ」が封書で届きました。
お盆のいわれやお盆の期間、送り火や迎え火について、実際にどのようにこの期間を過ごすのが良いかが記載されていて参考になります。

はじめての身内のお盆

この封書の中に施餓鬼塔婆の申込書が入っていました。
はじめての身内のお盆です。

施餓鬼塔婆とは何だろう、申し込む必要があるのかどうか私には分かりませんでした。

送られてきた封書には、ざっくりとお寺への付け届けが亡くなった方の供養(お布施功徳)になるとかが書かれており、それほど信心深くない私は少し納得できないような感じがしました。

塔婆について住職にお伺いすると、亡くなった方へのお手紙だと思ってくださいと言われました。

とてもシンプルで分かり易い説明です。
私の心にすっと入る言葉でした。

今は毎日、朝と晩に仏壇にお線香を立て手を合わせている

その場で施餓鬼塔婆の申し込みをいたしました。
その後、姉が亡くなり、父が亡くなり、今は毎日、朝と晩に仏壇にお線香を立て手を合わせます。

命日には好きだった食べ物やお酒をお供えし、季節の花を飾ります。
菩提寺とのおつきあいは特に深くしていませんが、春の彼岸、秋の彼岸、お盆の時期にお墓参りをしています。

もちろん施餓鬼供養の時には母、父、姉のために施餓鬼塔婆で供養を欠かしません。
これらのことは、亡くなった家族への供養であるとともに、私の心の安寧に欠かせないことだと思っています。

お墓参りをした後は気持ちが落ち着くように感じます。
私が幸せであることが、亡くなった父母や姉の希望でもあると考えています。